<ピングドラム考察・続き>
ピングドラムは絶望の淵に沈み、魂が死にかけている一人の少女の物語
彼女は親に捨てられてこどもブロイラーに入り、そのままシュレッダーされ、透明な存在となって消えるはずだった。
奇しくも晶馬に「林檎を分けられて」、疑似家族ながら普通の女の子としての生活を普通に営むことが出来ていた
その中で再び絶望が訪れる。
友人と引き裂かれ、普通の生活など、叶うはずもなかった。
彼女を拾い愛を与えた次の親からもたらされた、二度目三度目の絶望により、やはり普通の生活、普通の幸せな未来はなくなった。
さらに少女らしい憧れの夢は断たれ、しかも友人はその夢を叶えている。もう終わったのだということを確認する。
希望など最初からなかったのだ。シュレッダーされて透明になるまでの時間を伸ばされていただけ。
でもひまりにとってまだ、その絶望は魂を殺すに至るものではなかった。
半分死んでいたけれどもまだ半死半生の状態でも生きていた。シュレディンガーの猫のように生きているのか死んでいるのかわからない状態でもまだ大丈夫だった。帽子の助けと冠葉の命を分けられて、からくも生き永らえていた。
それは彼女には愛する人、運命の人がいたから。
ひまりは晶馬を求め、冠葉に求められる。
求めることと求められること、象徴しているのが二人の兄
「コウとテンは恋愛の象徴。私を抱きしめる右手と左手──」
コウと天はどちらも恋人でそのまんま、肉体と精神だったが
冠葉と晶馬は生きるために必要な現実と理想、どちらが欠けても生きていけない。
右手と左手を失ったエキセントリクスの少女は電車のレールそのものの上へ
が、半死半生のひまりは、この絶望にしか向かわない電車のレールの上で、ある一つの選択をする。
晶馬を断ち切り、冠葉の愛を受け入れて冠葉に愛を差し出すこと
ぐるぐる回るピングドラムのひとつの輪を完成させた時、冠葉は救われ、彼女の魂は甦る。
愛されて生かされた彼女が、愛することで生かす。
もう一つの軸として、晶馬とりんごの物語があるわけで、こちらは逆に、生きているか死んでいるかわからない状態にいる一人の少年の物語として見ることもできる。
輪としての自分の世界から外れた、爆発的パワーを持った少女と関わることで、彼の時間と運命は回り始める、とでもいうか。
この場合、少年(晶馬)のアニマは二つに分裂している。半死半生で希望を失い、死にかけているひまりと、生命力に満ち溢れ、暴走するほどのパワーをまき散らすりんごの二人。冠葉は晶馬の影、という風にもとらえられる。
そして乗り換えた世界の果てにいつか、また会える。
(小説だと結ばれているっぽい描写なんだな~。幸せ!)
希望あるエンディング。
<考察は以上>
もう一度ピングドラムを見直して、ゆりVSまさこの「生娘がなぜ世界を変革できないかご存じ?」
このタイミングで、めちゃめちゃ笑った。
そうかリチャードはきむすめか!エドワードにも言われてたな。お前は生娘か?って
世界を変革出来ない生娘リチャード(笑)
女になってから、艶が増して周囲がざわついてるの良いな。
ピングドラムに戻る
つくづく晶馬は良い子!改めて感動。最初の考察ではちょっと、冠葉よりになりすぎた。
最初はずっと晶馬に肩入れして見ていた。ずっと晶馬×りんごを応援していた。
晶馬が、あの晶馬が愛してるって言うなんて!!と、ひまりと冠葉はそっちのけだった。
でも、「ピングドラムとは何か」をすっきりさせるためには、冠葉をもっとより深く理解する必要があったのだなと、今更ながら思い当たった。
「林檎を譲渡すること」という抽象的な概念がピングドラムだ、という考え方は少数派なのだろうか?
検索しても見つからなかった。だって題名がそのまんまじゃないか。
物でなければならない理由がないし、一番スッキリ来るのに。
晶馬は、いかれ女の暴走にも付き合い良いし、何も生産性のあることしてないようで、冠葉にばかり苦労させてるようで、確実に彼なりの間違っていない道、を進んでいる。
りんごの呪文と最後のピングドラムにつながるのは、確実にそちらのアクセスからだ。冠葉もひまりもすべてを救ったのは晶馬の選択と生き方だ。
晶馬の歩んだ道は消極的なようで遠回りのようで、実は最も核心に近付く方法。
特に、晶馬のこれは男を上げた!と思うエピソードは、きっちり、ひまりの気持ちに対して「ごめん」と言うところ。
受け身で流されてるっぼいのに、おさえるところはおさえ、ここはきっちりさせる晶馬は男前。
私の地雷は二つ
・好きなのに据え膳を食わない
・好きじゃないのに、思わせ振りに引っ張る
好きじゃないのに据え膳を食う、は微妙。そこは仕方ない。擁護派。
だってやってみないと分からないこともある。
ちゃっちゃとアダルトしちまえよ!ファイト一発!
晶馬と別れて、二人きりで過ごしてる暴走中の冠葉と陽毬は、めちゃくちゃ萌える。
途中まで、どうしてももかは子供なんだろうと思っていたけど、おそらく希望と絶望だとして、
ももかは子供で希望
サネトシは大人で絶望
という風に対比させているんだろうなと思った。
プライムでタダだから、ひぐらし・ひぐらし解も見たけど、これらもすべて子供ブロイラーの子供たちの話だなあと思う。
未来日記もそうだが、猟奇的な血の雨を降らせる作品の理由付けはすべてそこだ。
安易に血の雨展開にしない所が、幾原監督のアクセスは実に大人だなと思う。
物語は一つ一つ、きっちりと終わらせているし。リアルカヲル君LOVE。